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Posted by TI-DA at ◆

まだ見ぬ頂き



本日で仕事納めです。

今年1年の仕事を振り返り、飛躍したとお世辞にも言えませんが

仮に登山に例えるなら、少しずつ山を登っている様な気はしています。

かなりなスローペースで、相変わらずの上り坂ですが(登山だから当たり前か)

いつかはその登りにも加速がつくものだと信じて、日々もくもくと登り続けます。

時には何の為に登っているのか疑問に思ったり、わき道にそれ浮気もしたくなりますが

その度に気を取り直し、「 頂上にあるまだ見ぬ素晴らしい景色 」 を信じてもくもくと登り続けます。

たまに立ち止まり振り返って下を覗いてみると、下の登山道入り口の駐車場で楽しそうに遊んでいる男女の姿が見えます。

でも、全然うらやましくはありません。なぜなら自分が今いるこの場所は、あの駐車場よりは少なくとも眺めが良いはずだから。そしてより遠くのものものを見渡せるから・・・

前よりも広い視野を得た自分はもっともっと上の広い視野を求めます。
あの下の狭い視野で満足していた前の自分になんか、もう二度と戻りたくありません。

もくもくと懸命に登る自分の上空にはロープウェイに乗り、ゆうゆうと自分達を追い越していく人達が見えます。

それも別にうらやましくはありません。

なぜなら、自分が頂上で見る景色は、例え同じ景色でも、彼らとは比べられない程の素晴らしい景色だと信じているから。

恐らく彼らは、ものの数分で頂上を後にするでしょう。 たいした感動もないかもしれません。

でも自分には、この頂上の最高の景色にプラスして登ってきた険しい道のりを顧みる事ができます。

きっと、頂上の自分は言葉では言いつくせない満足感に浸っているに違いありません。

商売の例えでいえば

若くて運だけで成功できた人ほど息が短いとよく聞きます。苦労せずにとんとん拍子で駆け上がった者ほど転げ落ちるのも早いものです。

苦境を乗り越える術と経験を持ち合わせていないから当然と言えば当然かもしれませんが・・・

また親が苦労して築き上げた会社を引き継いだ苦労知らずの二代目のバカ社長が、その地位にふんずりかえり意図もた易く会社を潰してしまうのもよくある話です。

そこまでとは言いませんが、やはり自分の足でしっかり築いてきた者とは格段に違うものがあるはずです。

自分の足でしっかり登ってきた人には、しぶとさがあり、執着があります。そして何より経験があります。

自分の足でたどり着いたその先の頂上は、きっと下の人達が見たこともない、

また機械を使ってラクして登って来た人達からは感じられない素晴らしい景色がそこには広がっているでしょう。

「バカらしい容量が悪い、機械で登った方が効率がいい。」または「駐車場で遊んでいた方がまし。なんであんな苦労しないといけないの。」そういう声が聞こえてきそうですが、そう言う人達には言わせておきましょう。(2013、6月投稿、鈍感力2参照)

少なくとも自分が今いる場所は彼らよりきっと眺めがいいはずだし、何より自分には目標がある。

今日よりは明日、明日よりは明後日、今年よりは来年、

まだ見えぬ頂上の素晴らしい絶景を信じて一歩一歩進む(登る)のみです。

以上、少し熱くなり過ぎましたが・・・

これを持ちましてハウス太郎の2013年のブログを閉めさて頂きます。

お付き合いありがとうございました。  来年もまたここブログにてまたお会いしましょう。

来る年が、皆さまにとって良い年であります様に!!


PS, 
元旦はいい初日の出が拝めるかな・・・
来年は午年、来年こそ午の様に山を駆け上がるぞ!!
あと、ブログもサボらずにがんばります…・(^_^;)・・・ なるべく・・・という事で・・


  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月28日06:52

今年一番の感謝。



今年、仕事で一番うれしかったこと。

おかげさまで、弊社 「ハウスセンター」 が設立10年目を迎えるにあたり

「株式会社 ハウス夢センター」 に 「法人成り」 させて頂きました。

その際に突然、全く予期せずにあるお客様より届いた、「たいへん豪華な花束。」

手前味噌ですが、これまで仕事をするにあたり

自分なりにお客様には正面から向き合い、誠意を尽くしてきたつもりではありますが

これまでの自身の誠意と努力が全て報われた様な、正に感無量な気持ちになりました。

それと同時に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

弊社管理のアパートオーナーである〇〇様、誠にありがとうございました。

まだまだ力不足ではありますが、これからも地道に謙虚に邁進して行きたいと思います。

今回のこのうれしい出来事を支えに、どうやら来年も頑張れそうです。いや必ず頑張ります。

ちむ心(真心、誠意)は必ず、相手に通わります。

そしてお客様は、たいへんありがたいですね。

年の瀬に 「最高のサプライズ」 を頂き、良きお正月が迎えられそうなそんなハウス太郎でした。  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月27日12:49

どっちが利口?



ある有名なお話をひとつ。

10円と50円、どっちがお得か?

次郎という子供がいました。彼は「間抜け」という評判で、近所の少年たちから馬鹿にされていました。
次郎が通りかかると、少年たちはいつも次郎を呼び止め、こんなゲームを持ちかけます。

「おい、次郎、どっちが欲しい? 好きな方あげるよ。」

そう言った少年の右手には50円硬貨が、左手には10円硬貨が載っています。
次郎はいつも決まって10円を選びました。
当然50円の方が価値は高いのですが、大きさでは10円硬貨の方が大きい。

次郎が大きさで選んでいると思っている少年たちは、

「お前はホンットにバカだなあ」と笑いながら10円玉をあげて行ってしまうのです。

近所のお年寄りが次郎をかわいそうに思い、
「なあ次郎や、10円よりも50円の方が大きさは小さくても価値は大きいんだよ」
と言いました。

すると次郎はこう答えました。
「おじいさん、そんなことはわかっているよ。
でもぼくが50円を選んだら、その瞬間から僕の小遣いは打ち切りになっちゃうんだよ。」

さて、どっちが利口?

この話を聞いて漫画家の蛭子能収さんの事を思い出しました。彼はこう言っています。
「いつも、腰を低くし人にへくりだって、謙虚の気持ちを忘れずに、いい人否バカのふりをしていれば、
世間の人々は自分を助けて、そして色々なものを自分に与えてくれるんだよ。」


これとは逆の例で、被災地の県庁を訪れ、大臣である自分をお迎えしなかった腹いせにマスコミの前で県知事を恫喝しその場面が全国放送され辞任にまで追いやられた記憶に新しい復興大臣辞任問題は、典型的な真逆の例でしょう。

ビートたけしさんは、誰に対しても礼儀正しく、明らかに自分より下の人にも深々と頭を下げるそうです。

業界を問わず長く活躍する人達は、その辺のところを、よく分かっております。たけしさんの様な一流なら尚更ですね。

最近、復活した兆しのある田原俊彦さんも人気絶頂時に「自分はビックだ」と大勢のマスコミの前で横柄に振る舞ったあのご存知、ビック問題発言により長く芸能界からほされました。

いかに傲慢、横柄が身を滅ぼすかというのがよくわかりますね。  反面、謙虚さは身を助けます。

自分も気を付けよう・・・特に酒の席では・・・  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月27日07:26

奪う人or 与える人(Ⅲ)


前のブログにて他人に与える事により、より一層自分にリターンが返ってくるお話をさせて頂きましたが、

どうやら与えるということは、リターンメリット以外に 「逃がすメリット」 がある様です。

逃がすメリットとは、どういう事でしょうか・・・

例えば芸能人や各界の一流の人々が儲けた後に、ある一定の額の寄付を行います。

それらはほとんどが善意でもたらされるものですが、中には売名行為もある様です。
しかし、ある一定の方達はある目的を持って寄付を行います。

その目的とは、今後に自分や自分の周りにふりかかる可能性のある不運を逃がすという事です。

どうやら儲けを一人占めしていると、自分にまたは自分の周りや家族に何か悪いことが起こってしまう負のジンクスがある様です。

迷信といわれればそこまでですが、思い起こせば大スターほどプライベートで不運に見舞われる人が多い様です。

アメリカの歌姫ジェニファーハドソンの母と兄の殺害事件、アメリカのバスケットの神様マイケルジョーダンの父親殺害、元アメリカ大統領JFKの暗殺とその後、呪われた一族と揶揄された一族の度重なる不幸。日本では数年前覚醒剤で逮捕された歌手の父親の事故死、グラビアアイドルの父親失踪、人気ハーフタレントの父親の犯罪。また古くは戦後の国民的歌手の度重なる肉親の死、・・・・などなど数多くあります。

それらは事故死などを除きそのほとんどが、彼らが人気絶頂時に外(他人)からもたらされた悲劇です。
人の妬みや嫉妬がそうさせるのか、さまざまな要因があるようですがその真相は誰も分かりません。

ある説によると非科学的ですが、多額のお金や多くの人からの注目を自分の所のみに集中させると、

「 その有り余る強大なエネルギーが、別のところに悪い様に出てしまう 」  というのがひとつの考え方の様です。

ですから一定のそういう人たちは、富の一部を必ず世の中に還元し寄付という形で社会に恩返しします。
更に利口な人は、わざとみすぼらしい恰好をして儲けていないふりをし、他に注目を向けさせます。

寄付には根っからの善意による奉仕や社会貢献という気持ちももちろんありますが、
どうやらその様な不運を逃す効果もある様です。

例えは変わりますが、家を新築すると病気になると昔からよくいわれます。

新築という一世一代の大仕事を終えたエネルギーの消費による気の緩みからなのか・・・一国一城の主になった自分への他人からの嫉妬や妬みなのか・・理由は定かではありませんが・・・人はそれらを逃す為に新築祝いで多くの人々を我が家に招き、祝ってもらいその邪気を払います。邪気を払うには、より多くの人々に新築の床を踏んでもらった方がより効果的だという事です。

思うに、お金も運も天下のまわりもの。

一人占めしていたら罰があたる。
お金も運も皆と分かち合い、与える事により皆も幸せになり、何より自分も不幸に見舞われずに幸せになれるという事なのでしょう。

(補足説明)
けして上記の不幸に見舞われた人々が一人占めしていたという意味ではありません。
大スターほど才能がありエネリギッシュである為に、そのパワーが良い運と同時にそれに見合った負のエネルギーもまた大量に引き寄せてしまったという意味です。
人に訪れる「幸せも不幸も時計の振子のようなもの。」 幸せのふり幅が大きければ、不幸も同じように大きくなってしまう・・・・という事なのでしょう・・・か・・・


  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月26日12:19

奪う人or 与える人(Ⅱ)

                                                 万座ビーチの釣り場


前回、「 奪う人 or 与える人 」のお話をさせて頂きましたが

どちらが成功者になれるのか・・・お分かりの通り世の成功者の多くは後者です。

何が成功かは人それぞれですが、

一般的に成功者とは、世の中に価値を提供し多くの人達に喜んで買ってもらった結果をいいます。

よって、成功者=お金持ちという概念でお話をさせて頂くと

良く耳にするのが、

「 お金はタライの中の水の様なもの 」

両手で水を自分の所に引き寄せようとすれば、水は自分の手前のタライの淵で跳ね返り

向こう側に逃げて行ってしまいます。

それとは逆に両手で水をあちら側に追いやると、その水はあちら側のタライの淵に跳ね返り

より多くの水が自分の手元に戻ってきます。

成功者はその原理を知っているから、どんどん人や物にお金を使い続けます。

そしてそれ以上のリターンを得ます。(与える人)

貧乏人は、その逆です。一生懸命自分の所に水をかき集めるつもりが、どんどん自身の手元から水は逃げて行ってしまい。いつも手元には何も残りません。(奪う人)

それらは天国と地獄のお話ともよく似ています。

手元に長い箸しかない地獄の鬼畜たちは、必死に自分の口だけに食べ物を運びますが、ぽろぽろ落として全然食べられずに、いつも空腹です。(奪う人)

反面、天国のお釈迦様方は、長い箸でつまんだ食べ物をお互いの口に運び合い、いつもお腹はいっぱいです。(与える人)

二つとも、よく聞くお話でご存知の方も多いと思いますが

自身の人生に置き換えた場合なかなかできないのが人間の嵯峨とでもいいましょうか・・・

ふと、今は亡きおばあちゃんが、諭す様に話してくれた自身の幼少の頃を思い出しました。

時代は変われど変わらぬものは必ずあります。

人の成功の指数は人それぞれですが、

その変わらない世の常に、従い生きて行った方がより生きやすいのかもしれません。

古くから沖縄にある 「 ユイマールの精神 」 こそ、その素晴らしい原点ですね!  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月25日07:07

奪う人 or  与える人。

                                  首里城公園内(写真と本文は関係ありません。)


奪う人 or  与える人。

誰の身近にもいる、この二種類の人。

前者は、自分にメリットがないと決して近寄って来ません。

相手を利用したい時にしか連絡しません。またはそういう時にしか会いに来ません。

例えば選挙の票集め、お金を借りたい時、儲け話(実は自分だけ儲ける話)を持ち掛ける等など・・・

虎視眈々と人を利用し、または人の財産を奪うチャンスをうかがっています。

当然そんなずる賢くて計算高い、自分の事しか考えない人の所には誰も集まりません。

誰も寄って来ないから、自分から積極的に動きます。

ひたすら金の臭いをクンクン嗅ぎまわっています。

そういう人が始末に悪いのが、その人は口がうまく、人の懐に飛び込むのが絶妙にうまい。
(当プログ5月掲載。貧乏神の正体参照)

逆に後者、与える人

その人の周りには常に人が集り、いつも笑顔が溢れます。

その人の周りはいつもエネルギッシュで楽しい事がいっぱいあります。

その人と周りの人々の間にはウィンウィンの関係が成り立っています。

その人は自分の為ではなく、他人の為にお金を使います。

どこかに寄付をしたり、ボランティアをしたり、従業員に教育を受けさせたり、勉強会や研修会を開いたり、人の事業の援助をしたり常に人に投資し続けます。

プレイべートの酒の席でも気前よく皆の為におごってあげます。

人は与えられると必ず、何かの形でお返ししたくなるものです。

与えられた人は、いい人や仕事を紹介したり、自らいい仕事でお返したり、何かの形でで恩返しする等して前述したウィンウィンの相乗効果が成り立ち、好循環のサイクルが繋がります。

正に理想的な関係ですね。

しかし思うようには進まないのがまた人生・・・

自分にも余裕があれば・・・・そう思う人も多いでしょう・・・

例え景気が悪くても、儲けが少なくとも、仮に見栄でも

後者の様に振る舞えたら・・・そう思うハウス太郎でした。


PS、
そういえば今日はクリスマスイブ、今夜は あちらこちらで 「 人に与え、そして人から与えられ 」 幸せな笑顔が町中にあふれることでしょう・・・・

「 奪うよりも与えを 」・・・・今日だけ聖人君主きどりのハウス太郎でした・・・・


  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月24日06:47

完璧なんて(Ⅱ)孫正義編

                                      名護湾(写真と本文は関係ありません。)


あの日本一、二の実業家ソフトバンクの孫正義氏も

「 完璧を追い求めていたら、あっという間におじいさんになってしまう。人生は思うほど長くはないんだ。」と言っています。

この様な彼の逸話があります。

彼がヤフーにてインターネット業界に進出した際に(2001年6月)

NTTの回線もまだ完全に取れていないのに、彼は社員に無料のADSLのモデムを町で大量に配らせました。

そして 「競合他社の半額でインターネットができる」 というフレーズで大々的に宣伝しました。

モデムはタダで毎月の利用料はこれまでの半額です。もちろん申し込みは殺到しました。

しかし、いざフタを開けてみれば回線が繋がらず、当然のごとく大勢の顧客からの苦情が殺到しました。

そういう中、彼は社員数人とNTTに乗り込み

「 回線を繋がなければ 今ここで灯油をかぶって死んでやる 」 と言って

NTTに無理やりに回線を繋がせました。

凡人には理解しがたい破天荒な彼の行動ですが、

現在の彼とソフトバンクの成功をみれば、脱帽せざるを得ません。

また携帯電話への新規参入の際にも(2004年4月)

携帯電話の周波数の割り当てが決まらないまま参入し

国が割り当てをしぶる中、新聞広告一面にて 

「 国民の皆さんは今の高い携帯電話のままでいいのですか? 」

という広告を載せて、世論を味方につけ見事に周波数を獲得した事からも、

彼の巧遅拙速を地で行く非凡な才能をうかがえます。

その後の快進撃は承知の事実でソフトバンクは今や日本一の携帯電話の会社となりました。

今、日本で私たちが使っている全てのメーカー(auやNTTドコモ、ソフトバンク)の携帯電話の利用料金が安いのは、全て彼のおかげなのです。インターネットもまた然りです。

なぜなら、彼はソフトバンクにて次々に新サービスを打ち出し日本の携帯電話の利用料金の価格破壊を行いました。またインターネットではヤフーにてインターネットの価格破壊をおこしました。

上記ふたつの例は、全て孫正義という天才の成せる業かもしれませんが、

いかに 「完璧ほどつまらないものはない。」 という事が彼の逸話をみても分かる様な気がします。

「 完璧主義者は時には、成果を遅らせ引いてはチャンスを逃しかねないのです。 」

未完成でも自分を信じひたすら前に進む彼のひた向きさと、相手が国であろうと臆せずぶつかり、

逆境を乗り越える彼のガッツが、日本の億万長者第2位、世界の億万長者番付100位中第71位に入り

総資産1兆3534億円を所有する大実業家、孫正義をつくりあげたのです。(100位以内日本人2人)

ちなみに日本第1位、世界第37位はユニクロの柳井会長です。(2013年米経済誌フォーブス調べ)

以上のお話、皆さんのこれからのお役に立てれば幸いです。


(↗)孫正義の自伝。この3冊で全て分かる。随所に彼の成功の秘訣が盛り込まれています。マンガだから読みやすいですよ。そういえば意外と孫氏もマンガ好きらしい・・・・

  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月21日08:09

完璧なんて・・・

                                  万座ビーチ(写真と本文は関係ありません。)


巧遅拙速、上手で遅いよりは、下手でも早い方が良いという意味ですが、

仕事上その四字熟語の重要性を最近、再認識しております。

スピードや情報の鮮度が命の今の情報化社会において

チンタラ、チンタラお〇所仕事の様にのんびり仕事をしていても成果は上がりません。

というか、そういう会社は競争社会についていけずにやがて自然淘汰されて行く事でしょう。

ある部下は、会社の近所にいる顧客に対して、(拝啓~の候益々ご健勝の~)と、まるで沖縄から北海道へだす様な親切丁寧な手紙を念入りに時間をかけて書き続けます。

ある部下は、パソコンに自身の一日のスケジュールを詳細に打ち込み入念に自己管理し、上司や顧客の急な仕事に即座に対応できません。

ある部下は、顧客に提出する資料を毎日残業して念入りに一生懸命作成し、完璧な資料ができた頃には既にその顧客はライバル社と契約を済ませた後でした。

等など、上げればきりがありません。

思うに、「完璧ほど、つまらないものはありません。」

それは下手よりも上手な方が良いに決まっています。

しかし完璧を求めるがあまり好機を逃してしまうのは愚の骨頂。

何の為の努力なのでしょうか・・・

お客様は、営業マンの親切丁寧な手紙など何のありがたみも感じません。

お客様が欲しいのは、お客様自身が欲する新鮮な情報のみ。

まわりくどいご丁寧な前置きの手紙や余計な情報ばかりの完璧?な資料は

ざっと目を通し横に置くスーパーのチラシ程度のものなのです。

人として融通が利かない、機転が利かない、応用力がない、空気を読めない

それらは仕事をする上で致命的なのかもしれません。

また、その様な傾向はまじめにしっかり学生生活を送ってきた優秀な生徒に多いようです。

本土の一流企業の人事採用は、それらを鑑み採用試験で最も重視するのは学業成績ではなく

コミュニケーション能力だという事です。

基礎から時間をかけて学ぶ学業とは相反する対応力、適応力、

相手(面接官)の質問を瞬時に察し分析し、適切な回答のできる総合力いうなれば人間力を重視するという事です。

文武両道、学問もスポーツもそして最も重要な「遊び」の経験を多く持ち、それらを真に自身に落とし込めている人間、凝り固まった融通の利かない狭い視野ではなく、何事にも柔軟に対応できる広い視野を持った人材が企業のいう優秀な人材だといえるかもしれません。

完璧ほど、つまらないものはありません。

未熟でも未完成でも下手でも、臨機応変にその場に応じた的確な瞬時な対応のできる人間、常に広い視野を持ち相手の言わんとしている事又は雰囲気を瞬時に察知し即座に対応できる洞察力と柔軟力、あうんの呼吸で1言ったら10理解するほどの分析力と判断力を持ち合わせた人材こそ真に優秀な人材であると最近つくづくそう思うのです。

Ps、別に我社のあなたの事ではないですから・・・うちあたいしないでください。でも参考にしてね。  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月19日08:54

「 アフターユー 」

                                   万座ビーチ(写真と本文は関係ありません)

手前味噌ですが、私は日頃から

「アフターユー。」「 お先にどうぞ! 」を心掛けています。

例えば、エレベーターを乗る際には必ずボタン前に立ち、皆の階数を押してあげます。

エレベーターを降りる際には、開けるボタンを押し続け必ず一番最後に降ります。

運転中は、せかせか運転せずに率先して道を譲ります。

後ろから、あおる車に道を譲ると必ず笑顔で 「ありがとう」 と合図されます。

譲る気持ちは必ず相手に伝わります。

そして譲られた人は必ずこちらに感謝してくれます。

相手もハッピー! 自分もハッピー!

朝から、とても良い気持ちで一日を迎えられます。

あるテレビ番組で、今ある人類の繁栄の原点は「譲る気持ちがあったからだ」という事を知りました。

なるほど人間が和を尊重せずに、思い思いに我先に行動していれば、やがて社会は崩壊していくことでしょう。

仮に今生きていれば、オリンピック競技の全ての記録が塗り替えられるだろうと言われる古来のもう一つの人類の祖先、ネアンデルタール人が屈強の肉体を持ちながら滅んで行ったのも、和を尊重する知的性に欠けていたからだという事です。

譲る行為はそれ自体が知的生物に見られる稀有な行為だという事であり、その行為は他の動物にはあまり見られない行為です。
その譲る行為の知的性を持ち合わせた人類だからこそ、いま最もこの地球上で繁栄してきたのだという事はなるほどな、とうなずけます。


人間社会で言うと、しょせんひとりの人間はとても小さな存在で、ひとりでできることは限られています。

ひとりで出せる成果は微々たるもの。皆で出せる成果はひとりで出せる効果の比ではありません。

プライベートでも仕事でも、「お先にどうぞ」と言える心の余裕が、その人の人生において好循環を生み出すのではないでしょうか・・・。

「対立よりも協調」を、「勝ち負けよりも協力」を、「我先によりもお先にどうぞ」を、

いつも 「ありがとう」 が身近にある生活があれば、社会も人間関係も円滑に発展して行くことでしょう。


追伸、

しかし仕事は仕事、ライバル社に譲ってばかりいては、この厳しい競争社会では生き残れません。

そこら辺のバランス感覚の巧みさが最も重要であり、今後も問われて行く様な気がしています。  

Posted by ハウス太郎 at ◆2013年12月18日09:56