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Posted by TI-DA at ◆

火の神の遣い



(男)続きましてHotスナップのコ~ナ~です。(NHK昨日放送)

(男)題名は 「火の神(ひぬかん)の遣い」

(女)「ハハハ・・・(笑) 火の神の仏具の上に(カエル)乗ってますね~。(^_^)」

(男)「本当だ~。もしかして本当に火の神の遣い??(笑)・・」

(女)「確かに神々しく見えてきました~。」

(男)「家内安全、商売繁盛」きっとご利益あるはずですよ~。

(自分)
採用されて、すでに良い事ありました。(笑)(^_^)

「動けば変わる!」

そもそも投稿しなければ、採用もされずに「ウキウキ」もなかった。

アホらしいと思わずに、何かきっかけをつかもう!

目指すはハッピースパイラル(好循環)

きっと、今日も「良い事」あるはずです。


 (^_^)/
  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月25日09:25

美栄橋の岩山



前々回に投稿した「元ダイナハ跡」の「現ジュンク堂」のあるビルの裏手に当たる、

ちょうどモノレ~ル美栄橋駅のホームから見下ろした所にある、こんもりした小さな「岩山」

この何の変哲もないただの岩山ですが、ここは知る人ぞ知るとても「歴史深い地」です。

ここはあの沖縄の有名な怪談のひとつ「七つ墓」の発祥の地です。(詳細は、当ブログの七つ墓)

ご存じの方も多いと思いますが、

身籠ったまま死んだ女性が、幽霊となって夜な夜な赤ん坊の為に飴を買いに行き、

ここの七つ墓に帰って行きました。

翌日になるといつも貰った飴代がウチカビ(あの世のお金)に代わるので不思議に思い後を付けると、

この七つ墓で死んだ母の横で赤ん坊が飴をしゃぶっていたそうです。(+_+) 

そういう曰くつきの岩山ですが、この岩山にはもう一つの顏があります。

先日、ブラタモリでも放送していましたが、この岩山は琉球王府のあった首里と当時は離れ小島だった

那覇を結ぶ「長虹堤の要の二つの岩山」で、ここを橋渡しにして長い橋が架けられたそうです。

よく古い琉球絵巻に出てくる長い橋のある風情のある風景ですね。

むかしは、今ある那覇の多くが「埋め立て地」で、その那覇が「離れ小島」だったなんて驚きですね。

そして今は建物に埋もれたその侘しい岩山に、この様な顔(歴史)があったなんて、とても驚きです。

そういう歴史の一端を垣間見ながら、タモリさんの様に「街歩き」するのも、たまには楽しいものかもしれません。

何の変哲もない岩山や川や橋などに、意外な歴史が、浮かび上がって来るかもしれませんね・・・(^_^)/











  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月23日12:53

真心の接客



本日、部下を叱りました。

最後の仕事である「鍵の引き渡し」で余りにも淡泊に事務的に愛想なく接客したからです・・・

ただ今、引っ越しシーズンの繁忙期で猫の手も借りたいくらいに忙しいこの業界で

従業員の気持ちは、わからない訳でもないですが・・・

それでは営業としてのレベルが余りにも低すぎて

プロ意識が足りないと言わざるを得ません。

気のいい親切なお客さんは、もちろん何も言わずに帰って行きますが

少なくとも気持ち良く帰ってない事は確かです。

そういう「真心」を伴わない営業は、けして望ましくありません。

契約を終えて最後の最後に気持ち良くお客さんに帰ってもらわなければ

立派に仕事をやり遂げた事にはならないと思うからです。

「あ~ハウス夢センターでお部屋を借りてよかったな~。
これからの新生活、きっといい事ありそ~だ。」

そういう風に思って帰って頂くまでが、賃貸業の仕事であり役目だと思います。

事務的に業務をこなす事は簡単で、忙しい時には接客も雑になりがちでですが

思う以上にお客さんは、きちんと見ています。

そして思う以上にお客さんは、情報が豊富で目が肥えています。

ですから、生半可な営業(接客)では、今後、厳しいこの業界で生き残るのは厳しいと思います。

いや、それよりも何よりも、もっと「使命感」を持って仕事に取り組んで欲しい。

ひとつひとつの積み重ねが会社の「信用」を得る事であり

何よりもお客様への「感謝の気持ち」を忘れてはいけません。

地域のお客様方に支えられて弊社が存在している事を、もう一度肝に銘じて

真心のこもった接客ができる様に、今一度、徹底して行きたいと思います。


  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月17日07:48

幸運の女神には前髪しかない



「幸運の女神には前髪しかない。」
古いイタリアの諺ですね。

意味は
「チャンスは一瞬しかなく
あなたの目の前を通り過ぎた頃には
幸運はすでに通り過ぎてしまっている。」
という意味。

もう少し説明すると

「好機は、常に見逃さずに
ここだと思ったら、即断即決する。
 なぜなら好機は、ほとんどの場合は一瞬しかないので
うだうだ迷ってる間に好機はどこかに行ってしまっている。」

これが
「幸運の女神に後ろ髪は無い」という。同じ意味を持つもう一つの諺

私が知る範囲で言える事それは・・
「できる人の共通点=皆さん決断が早い
そして何事も「スピーディー」である。

けして問題を先送りせずに、
幾つも同時並行して問題を解決して行く。
言うなれば「走りながら考える。」

けして、問題をひとつひとつ慎重に解決して行くのではなく、
同時進行しながら走り、無駄な机上の空論を嫌う。

本田宗一郎、松下幸之助、孫正義、田中角栄しかり、エジソンしかり、
そういえば
矢沢永吉が車のcmで言ってますね。
「本当に何かを変える人は、口より先に動いてる。」
やっちゃえ!ニッサン・・・(笑)
  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月15日07:23

繁忙期

1年の中で最も忙しい時期を迎えている弊社ですが

基本に忠実にやって行きたいと思います。

全ては社会貢献! 

「すべては世の為、人の為、
        自分は、余り物をわずかに頂く!」



  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月14日14:31

ダイナハ

当時のダイナハの姿  1975年(昭和50年)~2005年(平成17年)


今回の懐かしいシリ~ズは「ダイナハ」

現在、那覇市の美栄橋駅近くの大型書店「ジュンク堂」で再利用されているビルの「元祖」ですね。

ダイナハは、1975年(昭和50年)に大型ショッピングセンターとして開店しました。
その名前は地元商店街への配慮によりダイエーではなく「ダイナハ」となったそうです。
その後、「ダイエー那覇店」と名前を代えましたが、県民は親しみをもって「ダイナハ」と呼び続けました。

ダイナハは、当時は沖縄の「大型ショッピングセンター(複合商業施設)の走り」ともいうべき役割を担い、その後に浦添、泡瀬、嘉手納、糸満店をオープンして行きます。

地下1階~地上8階までには、電化製品から食料品~衣料品など、あらゆる日用生活品が勢揃いし、それらは恐らく「沖縄一の品揃え」だったと思います。

上階にあったゲームセンターには子供達が溢れ、1階の家電製品店では最先端のラジカセや最新式のウォークマン等に大人達が群がりました。

ダイナハは、三越や山形屋の様な洒落たブランドとは少し違う、どこかしら庶民的な感じで、今でいうサンエーの様な親しみがあり、大人から学生まで気取らずに気軽に行ける大型店でした。

学生時代の僕らはジーンズショップUのジーパンや他店舗でスニーカー、文房具に至るまで全てをダイナハで揃える事ができましたし、当時のお父さんやお母さんのお洒落にも大いに貢献したと思われます。

この様にダイナハは当時、「大人気」でダイナハ専用の向かいの、みどり駐車場と当ビルを行き来する人の群れは、まるで都会のスクランブル交差点の様な賑わいを見せていました。

そういうダイナハも時代と共に衰退して行く訳ですが。ダイエー本社の業績不振により2002年には県内の泡瀬、嘉手納、糸満の3店舗が閉鎖され、那覇店もついに2005年に閉鎖となりました。業績のいい浦添店はそれからしばらく営業を続けましたが、やがてリウボウに代わって行きます。

ダイナハのビルは、それから長らく空きビル状態が続きましたが、2009年4月にジュンク堂書店が入居し、施設名も「ダイナハ」から「D-naha」へと変更されました。

今まで県内には無かった本土資本の大型書店の参入により、ダイナハ閉店後は、寂れていた沖映通りも徐々に活気を取り戻し、モノレール美栄橋駅の開業も重なり、現在その周辺はダイナハ時代の賑わいを取り戻しつつあります。

 戦後の焼け野原からガーブ側沿い(現在の平和通り)に水上店舗の闇市が栄え、やがてそれらは「奇跡の一マイル」と呼ばれる「国際通り」を形成して行きました。

そのカーブ川沿いの人々の流れを沖映通りまで持ってきたダイナハの功績は非常に大きく、その流れはその後も周囲の繁華街へと続いています。

ダイナハが誕生して、なくなるまでの「約30年間」ちょうど僕らの成長と歩調を合わせる様に当たり前に、そこにあったダイナハ。

最近では、ダイナハという響きも全く聞かなくなり、寂しい限りですが・・・

でも、建物は当時のままなので、いつでも当時のダイナハを思い出す事ができます。

いずれにしても、沖縄県民に大きな影響を与え、皆から愛されたダイナハ。

そして那覇の町に大きく貢献した ダイナハ(大那覇)に今更ながら感謝したいと思います。(^_^)/

(写真説明)
ガーブ川が埋め立てられる前の沖映通り1963年頃、ダイナハ用地には何もありません。
正面に沖映の建物が見えます。


沖映通りの名前の由来となった沖映会館。


平和通りの前しんだったガーブ川の水上店舗。


奇跡の一マイルと呼ばれた国際通り 1960年代


現在の元ダイナハのビルの姿





  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月12日15:01

自己陶酔




本日、弊社にとある営業マンが来ました。

「自社の商品を使って欲しい」という事で何度かご訪問頂いておりますが(笑)

この営業マン、どうしても虫が好かない。

というのが、会話が全て「上」からだからだ。(*_*)

自身の商品の売り込みを、豊富な知識をもとに「流暢」「言葉巧み」に説明し、

こちら側の質問の隙を一切与えずに、いつも「満足げな笑み」を浮かべて帰って行く(笑)  

確かに頭の回転が速く話もうまく知識も豊富だ。

毎回、内の頼りない営業マンは、何も言えずに相手のペースに巻き込まれて話を一方的に聞かされるだけ・・・・

いつも後ろで、知らんふりして聞いていた私は、ついに堪忍袋の緒が切れたとばかりに

この営業マンに言ってやった。・・・いや正確には言ってしまった。・・・もちろん相手の自尊心は傷つけない程度に・・・

すると、この営業マン

「大変失礼しました。貴重なご意見として、これから自身の営業に活かして行こうと思います。」

と深々と頭を下げて帰って行った。

「まぁ、そう言えるだけ、まだマシかな。」偉そうにもそう思った次第ですが・・・

ふと、以前に読んだD・カーネギーの「人を動かす」という本の一文を思い出しました。

「賢者は、自分で話すよりも相手に話をさせる。わざと相手に花を持たせて、相手が最も欲しがっているものを導き出し、それを双方の利益にしていく。独りよがりの自己陶酔は、愚の骨頂だ。」

PS、
この本はあの斉藤一人氏が一押しする本で、この本を繰り返し10回読め。と言っている「素晴らしい本」で、同時にあまりにも有名な本です。読まれている人も多く、自身の「人生のバイブル」にしている方も多いですね。

  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月10日07:57

マキシ~




恒例の「昔なちかさんシリ~ズpart◯?」忘れた・・・(^_^;)

「あい!しかます!!マキシ~が無くなっている。」(*_*)

マキシ~「FASHION CITY MAXY」といえば、文字通り、おれらが高校時代のファションの中心地。

渋谷でいえば109的な存在で、建物内のゆるやかな階段スロープが当時は斬新で、

数多くのブティックが軒を連ね、連日多くの若者で賑わってました。

よく学校帰りに学生服でウロウロしていたのを思い出します。

建物の上は、沖縄の復興の象徴または、沖縄の通天閣か東京タワーと言われた?

「那覇タワー」がそびえ、

地下は若者の聖地「エイリー」「コナガーデン」という「デェスコ」がありました。

お世辞にも、うまいとは言えない安酒を無理やり胃に流し込み、

よく「ゴ~ゴ~」を踊っていたのを思い出します。
(って、いつの時代やねん・・・当時流行っていたのは、確かブレイクダンス・・・)(^_^)

そんなマキシ~も、跡形もなく壊され、今は閑散とした駐車場となってしまいましたが・・・

マキシーがあった頃には絶対に見れなかった三越・・・

いや現在のハピ那覇の側面の壁が見れるのも、もしかしたら、今だけかもしれませんね~。

そういう思い出に浸っている際に偶然現われた「ラッキ~」という名の大型犬
(国際通りをよく散歩してる人気犬)

思わずKylie Minogue の “ I Should Be So Lucky ”という曲が頭をよぎりました・・・(笑)(^_^)

♪ I Should Be So Lucky、 Lucky 、Lucky、 Lucky ♪♪・・・(^_^;)














  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月09日08:14

城北中体育館取り壊し



悲しいかな・・・(+_+)
城北中学校卒業生の皆さん、あの「体育館」がなくなっている。
(関係ない人達には、どうでもいい話ですみません。 )
校舎建て替えなどで、だいぶ様変わりしてたマイ母校でしたが
あの錆びれた体育館だけは、オレらが卒業した34年前と変わらず
そのままでした。・・・が、ついに取り壊されました。・・・残念・・・

残念ですが、これも時代の流れ・・・
同級生で人気者だった小橋川國男君、50歳を迎える歳(あと1年後)には男子も女子も当時の制服を着て(笑)・・この体育館で400名規模の大同窓会をやろうという夢が、今や消えてしまいましたね・・・残念・・・(笑) (皆には笑われていたが一応、彼は本気だった・・・)

その懐かしい体育館を偲んで写真を数枚、掲載します。
しばし当時の思い出に浸って下さい・・・・。



















  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月08日11:23

数字の魔力



計算は、あまり得意な方ではありませんが、数字には、興味があります。
なぜかって??
数字には、私達が生きていく上で「重要な何か」がいつもどこかに隠されているからです。

例えば「12」という数字・・・いつも目にしている何気ない数字ですが・・・

・1ダースは12本
・テレビは12チャンネル
・日本の就学年数6.3.3(12年)
・時計は12時まで
・1年は12ヶ月
・十二星座
・干支も十二支
その他、十二単衣(ひとえ)仏教での教え十二因果とは??
確か、マヤの予言(暦終了=地球滅亡)も2012年12月だったはず(はずれましたが・・・)

私達の身近な生活の中に、なぜか12が溢れています。

それが何を意図するかは当然、凡人の私には分かりませんが、12という数字の中に何かしらの「普遍性」を感じざるを得ません。実際にこの12という数字のみを研究する学者も世界にはいるそうです。

スポーツ選手が背番号にこだわるのも、とても興味深いですね。

あの松井秀喜の現役時代の背番号55は、巨人時代に年間最多の55本塁打を放った王貞治の数字にあやかったもので、世界のホームラン王に少しでも近づけるための願いかららしい。

大リーガー上原浩治の19は、自身が高校時代に全くの無名選手で、どこからも誘いがなくて浪人生活を余儀なくされ、そこで腐らずに練習に励んだ成果がその後のプロから大リーグの道へと繋がって行き、その頃の苦しかった19歳の気持ちをいつまでも忘れない様にという強い思いから来ているらしい。

イチロー選手の51は、プロ入り前から大尊敬する前田智徳(元広島カープ)がプロ入り当時に付けていた51番へのリスペクトで選んだものであることは、これまた有名な話です。

その中で際立っているのが、大魔神佐々木と「2」の不思議な関係。
・佐々木が生まれたのが「2月22日2時22分」
・佐々木をスカウトした若生さんが現役時代付けていた背番号も「22」
・入団会見が行なわれた日が12月22日
・ベイスターズの球団事務所が横浜市中区本町「2丁目22」
・事務所の電話番号の市内局番も222
・連続セーブ日本記録も「22」
・横浜に自宅を構えると、そこの郵便番号は「222」
・電話番号の末尾までもが偶然にも「0022」
・佐々木の長女玲奈さんも「2時22分」生まれ
・バスに乗ったとき、その座席番号を見ると、なぜか必ずといっていいほど22番
・家族で旅行に行けば、指定したわけでもないのに、なぜか案内される部屋は22号室ばかり
・仙台市にある自宅の市街局番も022 という具合・・・
・当然、彼の背番号は生涯22。
佐々木に何かと付きまとう「2」 という数字・・・

ここまでいけば、神がかりで、2は彼の「ラッキーナンバー」というよりも、むしろ佐々木は「2」という「何か見えない力」に操られている「運命的なもの」を感じない訳にはいきません。

話は飛躍しますが、思うに人類(文明)が発展した最大の要因は「暦」を手に入れたから・・・
古代の人達は、天空を見つめて太陽や月、星の動きから暦を作り上げ、同時に「時間の観念」を作り上げて行きました。そして季節や四季を知り、計画的な農耕によって「繁栄の意志杖」を築いて行きました。
普段、私達が口にする食物からパソコンに至るまで、原点は全て数字によって成り立っていると言えるのかもしれません。
そもそも、私達はある数字の日に誕生しています。
また数字は言語と違い世界共通なもので、もしかしたら唯一、宇宙共通のものかもしれません。
(ジョディーフォスター主演の映画コンタクトを見た方は、納得・・・私の大好きな映画のひとつ。)
驚くことに「素数」を解明できれば、それだけで宇宙の成り立ちの謎が解けるらしい・・・(嘘か誠か・・??)
この様に、私達は数字に活かされ、同時に数字に操られ、ある意味縛られているとも言えます。
今、私達が生きる上で切っても切り離せないこの数字・・・・

それだけ、数字とは偉大で壮大なものなのでしょう。

人類の発展から、今日に至るまでの「数字の魔力」を少しでも紐解けて行けたら、
人類は、これからも「限りない英知」を得る事ができるに違いありません。

そして仮に、それらを突き詰めて小さな私たち個人にまで落とし込めれば
それだけで、自分自身もっと「より良い生き方」ができるのでは・・・そう思うのです。

その為にも、
自分にとってのラッキーナンバーが意味するものとは・・・
  ・自分に付きまとう数字とは???
それが何か??例え解明できなくとも、それらの数字を常に「意識して行動」するだけで、自身に何かしらの効用があるのかもしれません。

実際に世の「成功者」には数字に「敏感」な人が多く、

・特定の数字にこだわりを持ったり、
・六曜(大安、友引、仏滅・・・)
・潮の満ち引き
・月の満ち欠け   などを意識して、特に重要な決定事項等は大安吉日(良い日)を選ぶ人が多く、

また、成功者は、行き当たりばったりの人生を歩むのではなく、人生の目標(頂き)から年単位、週単位・・・と逆算的に細分化して計画を立て自身のスケジュールを事細かく管理して行動している人がとても多いのは、なるほどと納得できます。

長くなりましたが、この様に数字には私達人類の誕生の歴史~これから生きて行く上で切り離せない重要なファクター(要素)が詰まっているに違いありません。

普段から数字を意識するか、しないかは、自分次第・・・・・意識したからと行って格段、目に見える成果が現れるとは限りません。

いや、それらを解明するのはそもそも不可能で、人類が到達できない「難題」なのかもしれません。

ただ、私はその意味が分からずとも、目に見えない数字の「規則性」や「普遍性」を常に意識して、自然に則した「生活のリズム」を持って日頃から行動して行ければ、何かしらのご利益があり、より「人間らしい正しい営み」ができるような気がしています。

目に見えるけど見えない、または私達の生活の一部である身近な小さいものでありながら、宇宙の様に果てしない無限大でもある数字って・・・・面白いですね!(^_^) ・・・ ty
  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月02日09:35

TV放送



私の投稿写真が、昨日テレビで放映されました。(笑)

その際のスタジオでの会話

男性
「首里のた~さんからの投稿。ありがとうございます。
題名が城のほとりの猫。
これは首里城の弁財天堂の池のほとりですね~。
ここは沖縄でも最も観光客の多い場所。その中で、
どこ吹く風的にすやすや寝ているこの猫の姿・・・(笑)・・・平和を感じますな~。」

女性「猫だけに危機感がないのでしょうね~。(笑)」

(私)
始めての試みで、この日のラスト1枚に選ばれたのは
やっぱり、「うれしい・・・」
何事もチャレンジですな~(^_^)/




  

Posted by ハウス太郎 at ◆2016年03月01日09:50