守礼の門(いま昔)

本日は、首里城祭、最終日・・・・
500年以上も栄華を誇った独立国「琉球王朝」のお祭りです。
そこで、今回は「琉球王国の顔」とでも言うべき「守礼の門」の移り変りの画像をお届けします。
しばしお楽しみ下さい・・・・・

↓、明治時代の守礼の門です。
守礼の門(いま昔)

↓、昭和初期の守礼の門です。当時の制服姿の女子高生たちが初々しいですね。現在のお歳にすると・・・・なんと90歳超えの方々の若かりし頃です。
守礼の門(いま昔)
↓、同じく昭和10年頃の首里城・・・・沖縄戦前で軍服姿の兵隊さんが多く見られます。
日本が東南アジアに侵攻していた頃、沖縄戦を見越しての日本本土の軍部のお偉い方々の視察の様にも見えます。(想像)
守礼の門(いま昔)

↓、昭和45年(1970年頃)の守礼の門です。・・門の後方に琉球大学の校舎が見えます。
当時、今ある首里城は琉球大学でした。(昭和55年、1980年西原に移転)ちょうど門の中にその校舎が見えます。
当時は車が手前まで乗り入れられ記念写真も簡単な石段の上に乗っての撮影と味気ない観光スポットでした。(笑)もちろん首里城もありません・・・・
守礼の門(いま昔)

↓、昭和45年(1970年頃)の守礼の門です
守礼の門(いま昔)

↓、現在の守礼の門です。
 今では首里城も平成4年(1992年)に立派に復元され、都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録され、日本国2千円札のモデルにもなっております。
守礼の門(いま昔)

守礼の門(いま昔)

↓、今年2015年 9月27日中秋の名月
守礼の門(いま昔)

↓、参考資料
守礼の門(いま昔)
いかがでしたが???
明治から大正、激動の時代と言われた昭和の時代を乗り越えて、平成と・・・目まぐるしく様変わりする時代の中で唯一変わらないもの・・・「守礼の門」・・・・・せめて今日くらい、その門の歴史に思いを馳せるのも、いいのでは・・・・・・(^_^)





Posted by ハウス太郎 at ◆2015年11月03日10:09
この記事へのコメント
沖縄守備隊が近くにいる門の写真には守礼門の看板が貼られていませんよね。女学生の写真とは状況が違います。どちらかの写真が戦後の写真だと疑われても仕方がありません。女学生の写真ならば戦後からでも可能ですが、さすがに軍隊の写真は無理でしょ。https://twitter.com/nenndo3/status/1189805093740171264
Posted by ika at 2019年11月01日 05:32
当時の沖縄県民やその関係の軍隊はアメリカとの戦争に賛成していました。沖縄では地下要塞も利用した。因みに、その写真にあるカラフルな沖縄の衣装は戦後製のものであり、戦前までは無かったものらしいです。沖縄パチンコ台と同じように、日本国内にいる朝鮮人がデザインしたそうです。カラフルな色彩がチマチョゴリに似ているのはそのためです。こんなアドレスが紹介されているようです。●https://www.youtube.com/watch?v=abuZYv1FJuw&t=4s ●https://loco.yahoo.co.jp/place/g-Fe3r6RcHWM-/ ※因みに本土が降伏した後も一部の沖縄県民と一部の日本軍は降伏を断固認めなかったそうです。約束を破った。降伏後、一ヵ月以上も沖縄で戦闘が続いたそうです。当時のアメリカはエイプリルフールの日(4月1日)に、沖縄へ上陸したとしている。
Posted by ika at 2019年11月01日 20:17
 
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