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沖縄のおば~
「沖縄のおば~」
昔、まだ僕らが幼なかった「昭和40年~50年代頃」に、よく見かけていた
「着物姿」で「うちな~かんぷ~」のおば~達。
くしゃくしゃの手には、どす黒いハジチの刺青があり、よくうるま等の安物タバコをふかしていました。
いつも物静かで、どこかしら悲しげで、口にする言葉は、強烈なうちな~口(方言)で全く意味が分かりませんでした。
たまに、着物の袖に入れた巾着袋から取り出した1セントをもらい、僕らは一銭町屋ぐわ~に走りました。
移動手段はいつもタクシーではなく「運送」か銀バス。
町では自分で編んだ手製の竹の枕を売り、
また平和通り入り口に座り、ドルと円のレート差で稼ぐ「両替おば~」がいたのもアメリカ統治下だった沖縄らしい光景でした。
約71年前の沖縄戦では、初めて見るアメリカ兵の青い瞳にひーじゃーみー(ヤギの目)とおびえ、黒人には本気で取って食われると思った沖縄のおば~達。
戦後は、バスに乗る際に間違えて前のドアから乗ったおば~にバスの運転手が「後ろから」(後ろのドアから)と注意したら、その場で方向転換して「後ろ向き」に入ってきたお茶目なおば~。(笑)
そんな素朴な沖縄のおば~達ですが、恐らく沖縄のおば~達は、世界一「首が頑丈」だったのではと思うくらいに頭に何でものせて運びました。
僕の両親が家を新築した際にも父の書斎の大きな本棚を70過ぎのおば~が頭にのせて我が家に運んできたのを今でも鮮明に覚えています。
このように、戦前~戦後と激動の時代を生き抜いてきた沖縄のおば~達、苦しさを胸に秘めながらも、けして表には出さずに、いつも笑顔で温かく見守る様に僕らの傍にいたおば~。
そんな沖縄のおば~達も今となっては、古いアルバムでしか見られなくなり寂しい限りですが、今更ながら写真の中のおば~の姿に「懐かしさ」と「愛しさ」を感じます。(-_-)(-_-)
僕らの近所で、よく僕らが遊んでいるのを玄関先で腰かけて眺めていたおば~。
もうとっくに亡くなっていますが、テレビが大好きでいつもNHKばかり見ていましたが 、
NHK 受信料徴収員が来た際には、耳はしっかり聞こえるくせに、
「おば~は耳が聞こえないからテレビは見ないさ~」
と、聞こえないふりをしていたのを、今でも思い出します。(笑)・・・(^_^)
Posted by ハウス太郎 at
◆2016年07月30日13:03